私はあなた、あなたは私
最近は、感染症のおかげで、株の事より、人生の歩み方を自分あてに書いている記事が多い。もちろん見てくれる人もいて、何かを感じてもらえることも意味があると思って書いている。
日本政府の強制力の薄い自粛生活は私は賛成している。例えばフィリピンでは大統領が違反者がトラブルおこすなら射殺するという公言していたり、他国の自粛は強制力が強すぎる。
人との信頼関係を築くには、恐れを植え付けて従わせるやり方よりも、社会的規範がありながらも、最終的判断はあなたに任せる、というやり方の方がどう見たっていいでしょう。まさに日本の要請というやり方。
私はSWという仕事がら、東日本大震災被災者や熊本自身の被害者の声を間接的であるが、生に近い声を聴いてきたことがあった。
国は仮設住宅や一時金などを整備してはきたが、被災者にとっては結局以前の生活は取り戻せない方々が大半で、今なお仮設住宅で孤独死や自殺なども続いている。結局は自分たちで道を切り開くしかない現状がある、知人を頼ったり、自ら新天地に移住したりしている。
その人たちの気持ちは、その人たちしかわからない。体験しないとわからない。
私も、自分は優しい性格?のつもりだが、被災者の受けた奥深い気持ちはわからないのだ。
今、感染症自粛政策で、商売している人とか、個人経営者も方々は感染症対策を優先すべきか、だが事業を継続していかないと家族も守れず、生活ができないというジレンマがある。
国は最低限の保証しかしてくれないので、自分達で自己選択と自己決定をしていくしかない。私は、生きるためには商売はするしかないと思う。商売している方々の日に日に追い込まれる生活苦は分からないけど、感染症対策をできる範囲でしながら、コストを減らし、どうやったら激減する客に関心を持ってもらえるサービス工夫を模索できるか。そこが一番難しいと思うけど。
人はよく、白か黒か‥というものにこだわることが多い。この感染症に言えば、周囲に菌をうつすから絶対自粛?いや生活困窮のため自粛は絶対しない…。これだと、どちらかに犠牲を植え付ける視点になる。
私は以前から書いてるように、最低限の自粛で、ありのままの生活を維持するべきと言っている。白か黒か‥ではない、私はグレーなのだ。
犠牲も繁栄もみんな一緒に背負いながらの社会生活、これこそが戦後の方々が何もない焼ヶ原で知恵を絞りだした決断だったのだ。
自分だけが助かりたい、周囲を助けたい‥。
みんなが繁栄できる選択肢があるじゃない。
その選択をしたとき、きっと神様はあなたを罪人なんていわないよ。あなたが心を痛めながら出した決断こそ、人の心に必要なことだもの。
自身を持って生きていこう。